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28歳の時にメルボルンへ1年2ヶ月ほど留学に行ってきました。
語学力アップとインターンを経験してみたいと意気込んで行った留学。
ところが自分の見積りが甘かったのは勿論、ホントに色々うまくいかなかった!笑
でも留学の時の悔しい気持ちが『今頑張らなきゃ』という気持ちにもなってるから良いの!
もちろん!一生忘れられないほどの感動や体験もできたし、家族や恋人の有り難さや温かさも感じられた!!
本当に行って良かった!行かなかったらいつまでも『行ってみたい』ままだった!
この記事では、留学中に経験したYuのメンタルがボコボコになった出来事と乗り越え方を書いています。
28歳で会社員を辞めてメルボルンに語学留学した話- 思い切って留学・ワーホリ来たけど『なんか違う』『うまくいかない』って思ってる人
- 留学したけど、うまく行かなかったかもと気にしている人
想像以上のホームシックで、自分に引いてしまった。
こんなに自分のことが受け入れきれなかったのはこの時ぐらいかもしれない。
家族にも夫(当時は彼)にもとてつもなく支えてもらった。
行きの飛行機から淋しくて、不安でしかたない気持ちでいっぱい。
いつも爆睡して元気いっぱいの状態で海外に着けるのに、珍しくフライト中に寝られなかった。
オーストラリアは時差が1時間か2時間(サマータイム)だから、日本とテレビ電話がしやすいし、徐々に生活も慣れていきました。
ちなみに留学生の友だちは、授業が始まる前(朝8時ごろ)電話をしてる。家族や恋人は世界共通で心の支え!
ヨーロッパみたいな雰囲気のある建築が並ぶメルボルンに住んでみたかった!!
幼少期にシドニーに暮らしたことがあり、親しみがあったのでオーストラリアに渡航しましたが、まさかこんなに違うとは!
お天気がクレイジー!!!1日のうちに四季があるというぐらい。
基本的に雲がどんより、雨が降ったり止んだり、そして肌寒い!
元気が出なくなりました…
語学学校の授業が朝8時台スタート!早くて眠い、そして寒い。
ホームシックにしても、心があんなに長い間ズーンとするのはおかしかった。
段々、メルボルンの天気ってクレイジーだよね。
『That’s Melbourne!』となってくるんですが、元気じゃない時にお天気悪いとメンタル持っていかれる。
たのしいイベントを作ったり、カフェで美味しいコーヒーを飲んで息抜きするのみ!
本当は都市をブリスベンに変えようかとも考えたのですが、旅行から帰ってきてメルボルンに着いたらホッとした自分が居ました。
だからそんな『クレイジーなお天気メルボルン』に愛着が湧いてきてたのだと実感。
あと『毎日他人と話す』ってとても大事で、はじめは話す人が居ないのが大変。
でもみんな留学生だから、『適当にその辺の人と話しても良い』ところが良い!
ちょっとお茶したり、話せるだけでその日1日が『素敵な日』に変わる!!
慣れてきて、シェアハウスにクラスメイトを招待して鍋パをしていました。
みんな思い思いの時間に来てくれるので、自転車で近くのバス停(家から徒歩20分!)にお迎えに行った所…
後ろから車が追突!!右脚が自転車と車体の間に…!
リハビリに通ったものの、打撲で済む奇跡!
心配で帰国後、MRI撮ったけど問題なしな奇跡!
ヘルメットをしててホントによかった!(オーストラリアでは義務)
相手のおばちゃんは『Oh my daring!』とか言ってたけど、警察を呼んでいないので逃げられました。
私は気が動転して、全く頭が働きませんでした…
事故に遭ったら『警察』は鉄則!!自分で呼べる状況なら、呼びましょう。
医療用語って日本語でも難しいですよね。なので、日本語の通じる病院に行きました。
任意保険に入っていて本当に良かったです!!
長期滞在ならお守り代わりに入っていても良いと思う。
保険会社と提携している病院だとキャッシュレスで立替が不要なのも最高!
リハビリは週1〜2で1ヶ月ほど通いました。
リハビリの先生がKiwiのイケメンでなんとかモチベーション保ってました笑
※Kiwi (キーウィ)はニュージーランド人の愛称
GPに行き始めたら、便利すぎた!特に女性はオススメ!
※GP:オーストラリアでは1番最初の窓口の病院のことをGPと言う
- 空気が乾燥していて、肌の乾燥が気になります。GPで保湿クリームが欲しいと言うと、保険でもらえますよ!私はセタフィルがもらえました。
- 日本で子宮頸がん検診に引っかかっていたので、メルボルンでもやってもらいました。検診も保険でできるようにやってくれた親切なGPはこちら。
- 低容量ピルも日本で買うより安い!!
事故に遭ったあと、精神的にかなり落ち込んでいたのですが、クラスメイトや家族に支えられて、もがきながらも留学生活を継続していました。
学校とかバイトとかシェアメイトとか大多数の日本人とは楽しく過ごしていました。
むしろ助けられる事がたくさん。
言葉と文化がわかるってすごい事!!
格安+歴史的建造物に住める+オーナーが建築家というので飛びついてしまった。
今考えるとちょっと怖いけど、歴史的建造物は精神科病棟だった
ここに住んでいた時に、自転車で事故に遭い、その後ハウスメイトの女子大生とうまくいかなかった…恥。
少し郊外の高級住宅街だったけど、私は超都心生まれ都心育ちで、バス停から20分歩くのも、夜暗いのも怖くて…
マフラーにケータイをさしてライトを付けて歩くほど、街灯も暗かった!
でも格安だったおかげで、半年もバイトしないで過ごせた笑
ちなみに歴史的建造物は住むところではなく、見て愛でるところと心得た!
風が常に入ってきて寒すぎるので、暖房をかけていたらそのハウスメイトに色々言われてしまってビックリ!
たしかに、光熱費がめちゃくちゃ高いので家主によっては
ドケチなこと言われます!!笑
韓国人オーナーの家で40℃もある真夏に冷房制限された時は、プールに何時間も浸かった笑
精神的に辛くて、引っ越しました!
このとき、語学学校もこのままだと間延びすると思って、FCE(ケンブリッジの英語の能力テスト)のクラスに変更。
クラスメイトも先生もより熱心な仲間が多くて楽しくて刺激的だった!
引っ越すタイミングとしてはFCEのテスト直前で微妙ではあったけど、勉強に身が入らない状況だったので、引っ越して良かった。
サンシャインコーストに住んでいる知人が居たので、訪ねました。
とっても素敵なところで、家族でまた行きたいですが、ほろ苦い思い出ばかり笑
日本人女性とオーストラリア人男性、可愛いお子さんのいる家庭です。
『オーストラリアに住むとはこうだから』みたいな話や『自立とは…』など話してくれたのですが、事故後メンタルが弱まったままで、なんとかオーストラリアに留まって楽しみを探そうとしている私には響かなかった。
思いっきりリラックスしようと思って、行ってしまった私も良くなかった。
ギブの精神が足りていなかった。
思いっきり日本人として、その家の流れに則る感じで遊びに行ったら、西洋文化はコレだぞって投げつけられてビックリした。
その知人の伝手でインターンシップできるのでは?と甘くみていた私は、そのチャンスを見つけられず、インターンシップは叶わなかった。
知人宅の滞在を少し早めに切り上げてしまいました笑
複雑な気持ちのままブリスベンを旅しました。
言われたことは間違ってはなかったと思いつつ、当時は受け入れられなかった。
とにかく上手く行かない時期だった!!
精神的に参るなと思ってたけど、周りにいる友だちとか家族に話を聞いてもらえるだけで、あとは自分で環境変えていくしかないので引越した!ちなみに4回引っ越して住んだ場所は5ヶ所です!
1ヶ月半ほど経って慣れてきた頃に…グサ!刃物が手に刺さった。
痛いのが大の苦手だけど、ビックリしすぎて泣けなかった!!
バイト先には日本で看護師さんだった人がたまたま多くて、言われた通りずっと左手挙げていた。
大きい近くの病院のEmergencyに行くも、めちゃくちゃ待たされるし、不安だし、保険降りるまでは一括で500ドル払うし、バイト行けなくなるし笑
でも指は動くし神経を傷つけてなかったから、よかった。
冷静に考えて、突然仕事できなくなってバイト先には迷惑をかけてしまうし凹みました。
けど休みをエンジョイするしかない笑
Japanese Film Festivalがちょうどやっていて、日本の映画を観に行きました。
家でも水仕事は難しかったけど、ルームメイトがめちゃくちゃ優しい韓国人のオンニで、ご飯作ってくれた泣
ホームシックも和らいで、怪我はしたけどバイトをしたり楽しく過ごし始めていた。
当時、21階のタワマンに住んでいた私は『21階で閉じ込められた…』
怖すぎる
モニターが21階と20階を行き来してる!!!!
非常ボタン押す!
待っててと言われた後、電気消える!泣
自分でドアをこじ開けたらまだ21階に居たから脱出!笑
途中で動いてたら死んでた
非常階段で降りて、受付でクレーム言ったけど、階段降りるのも疲れすぎてゲッソリ!!笑
タワマンはもぉ無理笑
さすがに1年で色々ありすぎて、日本に無事帰りたいから母にお祓いを頼みました!!!
これが厄年?いや、まだ厄年の年じゃないんだけどと思って。
でも怖すぎて厄祓い頼んだ。
そのおかげか?残りの翌年は怖い思いをせずメルボルン生活が送れました!!!笑
命を落とすこと以外、大したことないんだと思います笑。
あまり考えたことないけど、方向が良くなかった?気になる人は調べてから行くのもアリかもです。
うまくいかない時期ではあったけど、その中でも体験できた忘れられない思い出は一生もの。
あの時悲しかったり、悔しかったり、今もほろ苦かったりするけど、これも経験と言えてブログに書けるまでになってるのだから結果オーライとも思う。